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- 「くすり学習館」で忍者の携帯食《兵糧丸》を作ってみませんか?イベント告知
みなさんは、くすりと忍者の関わりをご存知ですか?
くすりの歴史は古く、縄文時代の縄文人(一万数千年前)たちの住居あとから、薬として使ったとみられる植物(薬草)が多数発見されているそうです。
くすりは、今から4~5千年前も昔、中国の人物で炎帝神農氏という方が中国の野山を駆け巡り、薬になるものとならないものを見分け、365種の生薬を見つけ出したといわれております。 また、神農氏は医薬と農耕の神であり、火の神としても信仰されていたそうです。
(しかし、中国では神話伝説時代の帝王で、現在では実在人物とは考えられていない説もあるそうです)
また、日本でも667年に都を大津(滋賀県)に移し(大津宮)、668年中大兄皇子が天智天皇(天皇中心の政治を確立した天皇)に即位し、第38代天皇となります。
そして、滋賀県の東近江市(旧、八日市市)の船岡山で薬猟(くすりがり)をしていた記録が万葉集に詠われています。
「あかねさす 紫野ゆき 標野ゆき 野守は見ずや 君が袖振る」ーーー額田王
「紫の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに 我恋ひめやも」ーーー大海人皇子
ほかに、木や草花、虫、鉱物(地上や地中に自然に生成された無機物)等をくすりとして使っていたことは、今から1,300年前のことが日本最古の歴史書『古事記』(712年にできあがった)のなかにも記されています。(例:因幡の白兎等)
そして、753年(奈良時代)に中国の僧侶で鑑真は、唐から日本に来るのに5回も失敗し、途中、疲労や過労で失明しながらも6回目にやっと日本に来て日本の医療進歩に大きく貢献した人です。
また、忍者が最も活躍したのは、戦国時代(安土桃山時代)から江戸時代にかけてだと思います。国盗り合戦が生じ、お互いの秘密を探り合うのに忍者が必要でした。忍者は忍びの(術)技を使い、姿をいろいろと変え(商人・こむ僧・山伏・僧侶等)敵の陣地へ忍び込み責務を果たしたようです。
忍者の始まりは、忍術伝書「萬川集海」によると、紀元前2300年頃 中国の伏義帝に始まるらしいです。
その後、紀元前500年ごろ、孫武の著した「孫子」の用間編にあるそうです。
飛鳥時代(592年~)、聖徳太子と蘇我馬子が日本で最初に忍者を使っていたといわれております。当時は、「志能便(しのび)」と呼ばれていたそうですが、聖徳太子や曽我氏は中国から伝来した最新の知識である「孫子」を学び、自分たちの政治活動に活用していたといわれます。そして、聖徳太子が志能便(しのび)として活動させていたのが大伴細人(おおともの ほそひと……甲賀忍者の源流)で日本最古の忍者であったといわれています。
それから、役行者をはじめとする修験者たちによって創始された山伏兵法が根本にあるそうです。山伏兵法から忍術が分化し、不老不死を求めて化学変化を用いた薬作りとなったみたいです。
その後、忍者全盛の世、山伏と密教が培った化学の知恵で火薬も習得し、情報を制する者が天下を制する戦国時代に入りました。
300年余り続いた泰平の世の江戸時代で忍者の存在価値は徐々に薄れていきました。
明治、大正、昭和、平成の時代と代わりましたが、滋賀県の地場産業の中で医薬品の生産額は現在トップで、全国でも大都市圏を除く地方として、滋賀県の薬の生産量はトップクラスとなりました。
そこで、原点に返り甲賀忍者が携帯食(非常食)として愛用したといわれている兵糧丸または飢渇丸を、みんなで楽しく作って試食してみませんか?
さあ、みなさん「くすり学習館」へお越しください~~~!!