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- もうじき、「春分の日」です。「春分の日」とは???
みなさ~ん、啓蟄(けいちつ)が終り、もうすぐ「春分の日」がやってきますよ!
「春分の日」って何だと思いますか?
祝日であっても休みじゃない人もいると思いますが、多くの人はお仕事がお休み学校もお休で、ただラッキーと思っている方が多いと思います。
でも、祝日でお休みなんやというだけじゃなしに、いろいろと理由があります。
2014年の「春分の日」は3月21日(金)ですが、「春分の日」というのは季節を表す二十四節気の第4番目の節気です。そして、この日を国民の祝日とし、この日を境に前後3日間を春のお彼岸として定められているそうです。
以前(第二次大戦前)は、春分・秋分の中日を「春(秋)季皇霊祭」と定め祭日となっていたそうです。
お彼岸は春(春分の日)と秋(秋分の日)の年2回あります。お彼岸にはお墓参りをする風習が日本中に広く残っています。
国民の祝日に関する法律で「自然を称え、将来のために努力する日」とされ、1948年(昭和23年)に公布施行され制定されました。
また、「春分の日」と「秋分の日」は、昼と夜の長さがほぼ一緒とされております。
昔から「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉をよく耳にしましたが、春はこの日を境に寒さが和らぎ、秋はこの日を境にやっと涼しくなるとよく聞きました。
そして、お彼岸の食べ物といえば、「ぼたもち」(春)、「おはぎ」(秋)というそうですが、どちらも同じみたいです。
ただ、春と秋に咲く花に由来しているみたいです。
春は牡丹の花に例えて「ぼたもち」、秋は萩の花で「おはぎ」だそうです。
ぼた餅に使われる小豆の朱色は、昔から邪気を払う力があると言われています。
前後の節気といえば、
啓蟄(けいちつ) → 春分(しゅんぶん) → 清明(せいめい)
桜の開花もあちらこちらで耳にし、まさに春爛漫の暖かい日の到来で~す。
- 2014年の啓蟄(けいちつ)はいつ?それって何??
2014年の啓蟄(けいちつ)は、二十四節気の3番目で、雨水(2月19日)から数えて15日目の3月6日(木)になります。
3月6日だけを「啓蟄」というのではなく、春分の日(3月21日)の前日までの期間を意味します。
では、「啓蟄」とはなんぞや?と言いますと、
「啓」は訓読みで「ひらく」とか開放するという意味で、「蟄」は虫が土の中で冬眠するという意味だそうです。ですから、「啓蟄」は土の中で冬ごもりをしていた虫たちが這い出てくるということだそうです。
柳の若芽が出て、フキノトウの花が咲き、八百屋さんには春を思わせる山菜が並び、春の旬の食材が訪れることでしょう。
また、「啓蟄」とおひなさま(雛人形)が関係あるみたいだけど、それはどういうことかと少し調べてみたら、
雛人形を飾る時期は、地域によっていろいろですが「雨水」(2月19日)の日に飾ると良縁に恵まれるそうです。そして、雛人形を片付けるのは「啓蟄」の日が良いと昔から言われているそうです。でも、その日に絶対にひな人形を片付けないとダメという決まりはないらしいけれど、じゃ、いつ片付けるの?となれば、ずっと飾っておくわけにはいかないので、昔からの迷信で「雛人形を片付けるのが遅れると、お嫁に行き遅れる」と言われているので、旧暦にひな祭りをする地域以外は「啓蟄」の頃を目処にして、その前後の晴れた日に片付けたらいいそうです。
雛人形は湿気が大敵で、雨の日だとカビの原因になるので、天気の良い晴れた日に、ホコリを払って専用の防虫剤と一緒に片付ければいいみたいですよ。
前後の節気といえば、
雨水(うすい) → 啓蟄(けいちつ) → 春分(しゅんぶん)となります。
もう、暖かい春は目の前にやって来ましたよ~~(ルンルン)
- 「雨水」(うすい)って何でしょう???
雨水(うすい)とは、二十四節気の第2番目で、立春(2月4日)から数えて15日目で今年は2月19日です。
空から降るものが雪から雨に変わり、氷が溶け始める頃の意味だそうです。また、草木の芽が出始め、農耕の準備をはじめる目安がこの雨水からだそうです。
春一番が吹くのもこの頃からで、鶯の鳴き声が聞こえてくるのもこの頃です。
本格的な春の訪れはもう少しまだのようですが、三寒四温を繰り返し暖かい春を迎えます。
この雨水(2月19日)から数えて15日目が啓蟄(けいちつ…3月6日)にあたります。
前後の節気といえば、
立春(りっしゅん) → 雨水(うすい) → 啓蟄(けいちつ)となります。
早く暖かい春が来てほしいですね。
- 「くすり学習館」で忍者の携帯食《兵糧丸》を作ってみませんか?
みなさんは、くすりと忍者の関わりをご存知ですか?
くすりの歴史は古く、縄文時代の縄文人(一万数千年前)たちの住居あとから、薬として使ったとみられる植物(薬草)が多数発見されているそうです。
くすりは、今から4~5千年前も昔、中国の人物で炎帝神農氏という方が中国の野山を駆け巡り、薬になるものとならないものを見分け、365種の生薬を見つけ出したといわれております。 また、神農氏は医薬と農耕の神であり、火の神としても信仰されていたそうです。
(しかし、中国では神話伝説時代の帝王で、現在では実在人物とは考えられていない説もあるそうです)
また、日本でも667年に都を大津(滋賀県)に移し(大津宮)、668年中大兄皇子が天智天皇(天皇中心の政治を確立した天皇)に即位し、第38代天皇となります。
そして、滋賀県の東近江市(旧、八日市市)の船岡山で薬猟(くすりがり)をしていた記録が万葉集に詠われています。
「あかねさす 紫野ゆき 標野ゆき 野守は見ずや 君が袖振る」ーーー額田王
「紫の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに 我恋ひめやも」ーーー大海人皇子
ほかに、木や草花、虫、鉱物(地上や地中に自然に生成された無機物)等をくすりとして使っていたことは、今から1,300年前のことが日本最古の歴史書『古事記』(712年にできあがった)のなかにも記されています。(例:因幡の白兎等)
そして、753年(奈良時代)に中国の僧侶で鑑真は、唐から日本に来るのに5回も失敗し、途中、疲労や過労で失明しながらも6回目にやっと日本に来て日本の医療進歩に大きく貢献した人です。
また、忍者が最も活躍したのは、戦国時代(安土桃山時代)から江戸時代にかけてだと思います。国盗り合戦が生じ、お互いの秘密を探り合うのに忍者が必要でした。忍者は忍びの(術)技を使い、姿をいろいろと変え(商人・こむ僧・山伏・僧侶等)敵の陣地へ忍び込み責務を果たしたようです。
忍者の始まりは、忍術伝書「萬川集海」によると、紀元前2300年頃 中国の伏義帝に始まるらしいです。
その後、紀元前500年ごろ、孫武の著した「孫子」の用間編にあるそうです。
飛鳥時代(592年~)、聖徳太子と蘇我馬子が日本で最初に忍者を使っていたといわれております。当時は、「志能便(しのび)」と呼ばれていたそうですが、聖徳太子や曽我氏は中国から伝来した最新の知識である「孫子」を学び、自分たちの政治活動に活用していたといわれます。そして、聖徳太子が志能便(しのび)として活動させていたのが大伴細人(おおともの ほそひと……甲賀忍者の源流)で日本最古の忍者であったといわれています。
それから、役行者をはじめとする修験者たちによって創始された山伏兵法が根本にあるそうです。山伏兵法から忍術が分化し、不老不死を求めて化学変化を用いた薬作りとなったみたいです。
その後、忍者全盛の世、山伏と密教が培った化学の知恵で火薬も習得し、情報を制する者が天下を制する戦国時代に入りました。
300年余り続いた泰平の世の江戸時代で忍者の存在価値は徐々に薄れていきました。
明治、大正、昭和、平成の時代と代わりましたが、滋賀県の地場産業の中で医薬品の生産額は現在トップで、全国でも大都市圏を除く地方として、滋賀県の薬の生産量はトップクラスとなりました。
そこで、原点に返り甲賀忍者が携帯食(非常食)として愛用したといわれている兵糧丸または飢渇丸を、みんなで楽しく作って試食してみませんか?
さあ、みなさん「くすり学習館」へお越しください~~~!!
- もうすぐ節分ですよ~ 節分の由来?立春はいつ?
2月4日は立春です。すると2月3日は節分の日になるのです。
季節は、「春夏秋冬」と書かれるように、二十四節気の始まりの節とされ、一年のはじまりは「春」です。その春の始まりが立春です。
一年の始まり「立春」(旧暦では正月)の前日に「これから始まる、新しい一年が無病息災でありますように」と願いを込めて節分(豆まき)があります。
(旧暦では立春【2月4日】が1年のはじまりの正月なので、節分【2月3日】は、1年最後の大晦日のことだそうです)
「立春」は一年の始まりなので、立春を基準に数えることが多いです。
「夏も近づく八十八夜」の茶摘や、台風の季節の「二百十日」、農作業で大切な節目となる日なんかも、全てが「立春」から数えられているそうです。
それじゃ、なぜ節分に豆まきをするのでしょう?
「鬼は外~、福は内~」と大きな声を出して豆まきをしますね。
これは、中国から伝わったものらしいです。
伝説ですが、昔、京都の鞍馬山に鬼が出て、みんなを困らせていたそうです。その時、神様からのお告げで、煎り豆を鬼の目に投げつけて退治したという話が残っていて、「魔の目(魔目=まめ)」に豆を投げつけて「魔を滅する(魔滅=まめ)」に通じるということだそうです。
豆には「生命力と魔よけの呪力がある」とされた信仰が大きく働いていたみたいです。
「鬼に豆をぶつけること」で邪気を祓(はら)い、一年の無病息災を願ったそうです。
豆まきに使う豆は「煎った豆」でないとダメだそうです。なぜなら、煎らない生の豆は、豆まきしたあと拾い忘れがあると豆から芽がでてしまい、「魔」から目が出てくると縁起が良くないと言われていたそうです。
そして、節分の豆まきの日に鬼が家の中に入って来れないように、柊鰯(ひいらぎいわし)を魔よけとして家の門口や玄関、勝手口などに挿して鬼を追い払うのです。
柊鰯(ひいらぎいわし)とは、節分に魔除けとして使われる柊の小枝(柊の葉の棘が鬼の目を刺す)と、焼いた鰯の頭(鰯を焼く臭気と煙で鬼が近寄らないと言われる)を柊の小枝に刺し、鬼を追い払うそうです。
また、節分に鰯を焼いて食べる「節分いわし」の習慣が今でも残っているみたいですよ。
皆さんのお家でも「豆まき」「節分いわし」されていますか?