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- 平成25年2月より企画展示室のテーマが替わりました①イベント告知
当館企画展示室では平成25年1月31日まで『滋賀の家伝薬』と題して伝統ある家伝薬を紹介展示しておりましたが、2月1日から由緒ある『甲賀の神社・仏閣』をパネルと展示物で、また、近江の代表的な製薬会社としてメンタームの『近江兄弟社』をパネルと製品により紹介いたしております。
先ずは、甲賀市甲賀町油日にある『油日神社』の紹介です。油日岳(標高694m)を神体山とする油日神社は、陽成天皇の時代(877)に従5位下の神階を授けた古社で「甲賀の総社」として祀られてきました。静寂な佇まいの中に本殿、拝殿、楼門が見事に調和して国指定重要文化財となっております。
祭禮として油日まつりは毎年5月1日が春の例大祭です。また、5年に一度は氏子関係にて上野頭(うえのどう)のみによって「奴振り」(県の無形民俗文化財に選択)が行われ、郷土色豊かな長持ち奴の歌のしらべ、毛槍奴等の優雅な踊り姿など、往時の盛大さが偲ばれます(次回は平成28年5月1日です)又このまつりには列結野お旅所にて蚊帳を張る珍しい蚊帳まつりがあり、信者がその中に入って神酒み鏡餅をいただき厄除けの恵を受けます。この蚊帳まつりは厄除けの信仰のみでなく、蚊帳が古代繊維の代表であることから繊維業者の信仰もあついそうです。
次に紹介いたしますのは、甲賀市甲賀町鳥居野にある『大鳥神社』です。陽成天皇の元慶6年(882)平安初期に伊賀国より大原中に勧請され、当時は大原山河合寺と称され祭礼は坂本の日吉神社に準じていたそうですが、大原祇園は神輿渡御に用いる千枚張に記されているとおり1415年に始まったとされております。
また、織豊時代に入って牛頭大明神河合社牛頭天王といわれ現在でも氏子の方々から「てんのうさん」とも呼ばれ親しまれています。
後陽成天皇文禄4年(1595)の時、当社の花奪神事に豊臣秀吉よりお墨付きをいただいたと伝えられております。
元禄2年(1689)第五代将軍綱吉の生母桂昌院より永世山年貢五石八斗を当社の修繕料として寄付されたそうです。
明治元年の令達により旧大原荘の大の字と鳥居野の鳥の字を合わせて「大鳥神社」と改称されました。
また、境内に架かる石造太鼓橋は1744年の架設で石工は京都の杉本文右衛門の作だそうです。
大正5年4月に本殿を残し拝殿の一部と楼門、回廊、神楽殿、社務所、河合寺等を焼失し、大正9年に氏子総意の力によって復興しました。そして現在では文化財保護法により国の登録原簿に、拝殿を始め7棟の建物が有形文化財として登録されました。
毎年大原祇園まつりは、宵宮(7月23日)と本祭(7月24日)が行われ、宵宮には氏子の各地区から灯籠を頭にのせて宮入りをし「インヨーソーライ」の掛け声で灯籠をぶつけ合い、その後クライマックスの火取り式を行うという祠形灯籠踊・火取神事があります。
本祭には、氏子の各地区から花鉾を先頭に花傘につけた造花を(真花)や酒樽等を奉納し神前に進み宵宮と同様「インヨーソーライ」と歌い踊る。
花傘につけた造花(真花)を参拝者が奪い合う。そして氏子総代が楼門より撒いた粽(ちまき)を参拝者に授与し、その中にあたり籤(くじ)があれば酒樽を戴くことができるという花奪神事・粽神事があります。
次回は櫟野寺(らくやじ)と阿弥陀寺と近江兄弟社を紹介いたします。お楽しみにネ。